考察
ここからはネタバレ含む考察です。
ぜひ本編視聴後に読んでください。
「パワー・オブ・ザ・ドッグ」とは何を意味したのか?
本作を考えるにあたり、タイトル『パワー・オブ・ザ・ドッグ』から始めようと思います。
本タイトルは旧約聖書の詩篇22からの引用で、ラストシーンでもピーターが読んでいました。
旧約聖書の詩篇22より
「わたしの魂をつるぎから、わたしのいのちを犬の力から助け出してください。」
イエス・キリストが十字架にかけられながら神に語りかける場面を預言したものと解釈されることの多いこの箇所、その内容は映画の根底にも力強く流れていると感じました。
犬や、悪を行う者とは、イエスを虐待したローマ兵や敵対する宗教派閥の人々のことでしょう。つまり本作における「犬の力」とは、罪なきものを虐げるもの「迫害」の象徴だと考えられます。
そこで特に象徴的なのは、ピーターを囲んで馬を走らせるシーン。なよなよした彼を嘲笑いもて遊ぶ姿は犬の力そのものにみえました。
馬小屋のシーンもありますが、キリストが生まれたのも馬小屋ですね。
フィルとブロンコの関係
姿を一切表さずに、その名前の印象だけを強烈に残したブロンコ。
フィルが語るブロンコには尊敬を超えた執着を感じられますが、さらに男性同士の愛という関係性があったこともほのかに描かれていきます。
ブロンコを失ったフィルは誰にも本当の心を見せられず、なによりも自分の性的指向が周囲にバレることを恐れていたはずです。
だから人前で裸になることを避け、男らしく荒々しさを誇張していた。そんな姿を見ると、フィルもまた「犬の力」/迫害に怯える者のひとりだったようにも思えます。
被害を避けるための加害という構図が、現代にも存在する悲劇のひとつとして訴えかけられています。
ピーターとフィルの関係
出典:映画.com
ピーターに水浴びを見られてから急に積極的になるフィルは本性がバレることを恐れたのでしょうか。
急すぎるほどの変わり身ですが、そうしてまでも自らの性的指向は隠さなければならないという執念や恐怖も感じました。
しかしピーターが山肌にみえる”あるもの”を一瞬で見つけしまったことで、急速に心を開き始めるフィル。
物語後半では、自身とブロンコの関係に重ねるように描かれていくピーターとの関係は文学的な美しさも漂わせていました。
これがまたラストの伏線となっていく無駄のない脚本に驚かされるわけですが。
ピーター涙のワケ
フィルとピーターにとってのラストシーン、自分の吸ったタバコをフィルの口に運ぶピーターの目には涙が。
これは過去1、2を争う美しいスモーキングシーンだとおもったのですが、実は悲しいほどに喜劇的なシーンだとも感じました。
ピーターの涙の理由は、フィルが思ってたのと違う!!という悲劇を通り越した喜劇。ここで冒頭のセリフが全ての種明かしだったことがわかる。
「僕が母を守らなければ 誰が守る?」
こうなると、牧場に着いた時から山肌にみえる”あるもの”に気づいていたというピーターのセリフも意味が全く変わってきます。
出典:映画.com
ピーターの目は、フィルの隠していた本性を見抜いていたのではないでしょうか。
それまでの不穏な空気が別の意味を伴い、気づけばサスペンスドラマの様相。
棺桶に入るため清潔にされるフィルの末路ににユーモアも感じさせながら、フィルの敗北で物語は幕を閉じる。
しかし、ロープを撫でるピーターの姿は、ブロンコの形見を愛撫していたフィルを想起させ、物語の余韻はいっそう複雑でした。
出典:映画.com
ジョージ、気をつけないとお前もやられるぞ!
さいごに、例の旧約聖書の詩篇22に気になる一節があったので、ご紹介しておきます。
”Save me from the lion’s mouth! Yes, from the horns of the wild oxen, you have answered me.
”訳:わたしを獅子の口から、苦しむわが魂を野牛の角から救い出してください。
残念ながらフィルは牛から救われることはありませんでしたね。
本記事では抜粋しましたが、この詩篇22自体が本作を読み解くうえで興味深い内容となっているので、お暇があれば読んでみるのもいいかもしれません。
まとめ
雄大な自然を捉えた美しい画面づくりと文学的な物語が両立した完成度の高い内容で、カンバーバッチ、マクフィーによる内省的な人情劇がとてもよかったです。
昨今のLGBTQを扱う創作にありがちな多様性を提示するだけのセクシャルマイノリティではなく、必要不可欠な人物描写として描かれるフィルやピーターの有り様は、時代性を反映しながらも現代にまで問いかける力強い作品性として昇華されていたと思います。
しかし、旧約聖書の詩篇をベースとしているため、私も含めここの理解が薄いであろう多くの日本人にとって、この作品世界を深く味わうことがどこまでできているのか…自分の未熟さも痛感しました。
観る角度を変えて、もう一度みたいと思える作品です。
さいごまで読んでいただきありがとうございました。
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